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越前大野城に雲海が出現 [ニュース]

現在、天空の城として売り出し、
知名度アップ中の福井県の越前大野城ですが、
10月1日朝、雲海が見られたということです。

大野城では雲海が発生しやすいこの時期に合わせ、
人々に楽しんでもらおうと
朝6時からに開館を早めたばかり。
そのかいがあったというものですね。

雲海は朝の気温が低くて昼間との気温差がある
秋に発生しやすいようです。

大野城はPRの成果もあって
この夏には入場者数が前年の2倍以上に
なったそうですよ。

同じく天空の城として知られる
兵庫県の竹田城、岡山県の備中松山城と
この福井の越前大野城、
どこが一番いい眺めでしょうか。

全部行って比べてみたいものですね。
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松本城の太鼓門が特別公開 [ニュース]



10月18日(土曜日)から11月3日(月曜日・祝日)まで
松本城の太鼓門が特別公開されます。
時間は8時30分から17時まで。
年3回公開しているそうです。

松本城の太鼓門は
文禄4年(1595年)頃に石川氏によって築かれ
門上に太鼓楼が置かれ、時の合図、登城の合図、火急の合図などを
するという重要な役目を果たしていました。
現在の太鼓門は、平成11年(1999年)に復元されたものです。

当時のものでないところは残念ですが…

太鼓門の左側には玄蕃石(げんばいし)という巨石があります。
この石は松本城の整備を行った際、
文句を言った人夫を城主・石川玄蕃頭康長が切り捨て
その首を槍に指し石の上に乗って
人夫達に運ぶよう命令したという逸話があるそうです。

またずいぶんとひどい話ですね。
石川康長という人はそんな人だったんですね。
後に改易されたのもそういうところが原因だったんでしょうか。

やっぱり城が立派であるほど人の力が必要だったわけで
歴史のロマンの影には当然の事ながら
無数の名もない人たちの苦労があったんですね。

そんな事を考えながら見学してみるのも
いいかもしれません。


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竹田城跡の雲海が見られる時期と時間は? [兵庫県]

日本のマチュピチュと称される竹田城跡。
眼下に雲海が広がるその光景はとても美しく、
訪れる人の多くはその光景を見るために
やってきます。

しかし、いつでもその光景を見られる訳ではなく
雲海が出やすい時期と時間があるのです。

雲海が出やすい時期は9月~11月の秋。
時間は早朝~午前8時位。9時位には消えてしまうそうです。

条件は
湿度が高いこと
よく晴れていること
朝方と日中の気温の差が大きいこと
風が弱いこと

この条件は雲海が下の円山川から
立ち上る霧によるものだからです。
したがって、濃霧注意報が出ている時も狙い目です。

運良く雲海が見られたらぜひ撮影したいですよね。
撮影は竹田城跡からはもちろん
正面の立雲峡からは城跡と雲海が同時に撮れるとのこと。

車で行く場合ですが
竹田城の駐車場は少なく、
人が多い休日は停めるのに時間がかかるそうです。
麓のほうに停めたほうがいいとのこと。

また、時期によっては入場制限がされている場合も
あるようですので、
朝来市のウェブサイトでチェックしてみて下さい。

運良く絶景が見られるといいですね。


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松本城への行き方アクセス・住所・ホテル旅館 [長野県]

住所:長野県松本市丸の内4-1

行き方・アクセス:

○電車の場合
・東京から
 東京駅から特急あさまで長野駅へ→
 篠ノ井線で松本へ→
 徒歩で約15分

・大阪から
 大阪駅から特急しなの(長野行)で松本へ→
 徒歩で約15分

○車の場合
・東京から
 中央自動車道で岡谷JCTへ→
 長野自動車道で松本ICへ→
 国道158号を松本市街地方面へ向かい約3キロメートル

・大阪から
 阪神高速道路11号池田線→
 名神高速道路→東名高速道路→
 中央自動車道→長野自動車道→松本ICへ→
 国道158号を松本市街地方面へ向かい約3キロメートル





ホテル・旅館:

・リッチモンドホテル松本
 3,500円~
 松本駅から4分、松本城まで徒歩10分
 長野県松本市中央1-10-7
 松本市中心街に立地!ビジネス・レジャーに最適
 高速ネット接続無料 

・松本ホテル花月
 4,200円~
 松本駅より徒歩15分、松本城徒歩3分
 長野県松本市大手4-8-9
 明治の洋館・レトロな宿
 湧水ジャグジー付大浴場
 全客室高速インターネット接続無料サービス

・松本ツーリストホテル
 539円~
 松本駅より徒歩6分、松本城まで徒歩15分
 長野県松本市深志2-4-24
 手づくり朝食と大浴場が人気のホテル
 2500冊の漫画コーナー
 セントラルフィットネス無料
 


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弘前城の歴史・城主 [青森県]



弘前城は鷹岡城、高岡城と呼ばれる。
江戸時代に建てられた天守や櫓などが現存し、
現存12天守に数えられている。
また城跡は国の史跡となっている。

1603年(慶長8年)津軽為信が築城を始める。
為信の死によって一旦築城は中断されるが
2代目の信牧によって再開され、
1611年に鷹岡城が完成する。

1627年、 落雷により天守を焼失し
長く天守の無い状態が続く。
翌1628年、鷹岡を弘前と改称、
弘前城という名称になる。

江戸時代後期になって
1810年に9代藩主津軽寧親が天守を再建、
現在のような姿になる。

明治時代になり東北鎮台が置かれるが
廃城令発布により廃城処分とされ
本丸御殿などが取壊される。

その後公園として開放され
桜の名所となる。

昭和時代になると
国宝・重要文化財・史跡に指定された。


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「天空の城」開館時間を早める [ニュース]

2014年に有志による「ラピュタの会」が結成され、
「天空の城」として売り出し中の越前・大野城。

その大野城が10月から開館時間を3時間早め、
午前6時からにするとのことです。

大野城は亀山という山の山頂にあり、
前日に雨が降った冷え込んだ早朝は
周りに雲海が見え、
天空に浮かんでいるかのようだそうです。

そこで、雲海を見てもらうために
会館時間を早朝にしたという事みたいです。

一度雲海に浮かぶ様子を見てみたいですね。
日本のマチュピチュこと竹田城とどっちが
綺麗でしょうか。
有名になるといいですね。


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金沢城公園にクマ出没 [ニュース]

10月29日早朝、金沢市丸の内の金沢城公園で、
雄のツキノワグマが捕獲用の罠に
かかっているのが見つかりました。

この罠は9日にクマの目撃情報があったため
管理事務所が近くの雑木林に仕掛けていたもの。
円筒形で中にはハチミツが入れられ
クマをおびき寄せるようになっていたそうです。

公園では警備の人数を増やし、
巡回の強化していました。

人がクマの被害に会うことはなかったとの事。

今、全国的にクマなどの野生動物がえさを求め
人の生活圏に現れることが増えているそうです。

人が多く訪れる観光地にクマが出たというのは怖いですね。
人的被害がなかったのは幸いですね。

金沢城に限らず自然が多い城跡などに行くときは
気をつけましょう。

それにしてもクマがハチミツのわなにあっさりかかってしまうのは
驚きですね。


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犬山城の歴史・城主 [愛知県]



犬山城は別名・白帝城と呼ばれる。
現存天守12城の一つで
また天守が国宝指定された4城のうちの一つである。

1469年に織田広近が築いた砦が始まりである。
戦国時代後期に織田信長の叔父・織田信康が改修し、
天守の一部が作られた。
その後織田信長に敵対したため攻めとられた。

本能寺の変後は織田信雄の家臣・中川定成が入ったが
一度は池田恒興に攻められてまた後、織田信雄の城となる。

豊臣政権時代には石川貞清が城を改修したが
石川貞清は関ヶ原の戦いで西軍に属したため
所領を没収された。

その後、小笠原氏・平岩氏が領してから
尾張藩付家老の成瀬氏が城主となり
以後成瀬氏が治めた。
成瀬正成が城を改修し、現在のような姿となった。


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姫路城の歴史・城主 [兵庫県]



姫路城は別名・白鷺城と呼ばれる。
江戸時代初期に建てられた天守や櫓等などが現存し、
国宝や重要文化財、特別史跡、世界遺産、日本100名城などに選ばれている。

最初に築城したのは14世紀に赤松貞範とする説が有力で
ちゃんとした城と呼べる規模にしたのは
戦国時代後期の小寺氏の家臣、
黒田重隆・職隆父子(黒田官兵衛の祖父・父)とも言われ、
長い間黒田家の居城となった。

織田家に属した黒田官兵衛は
羽柴秀吉が西進するにあたって播磨攻めを開始すると
姫路城を譲り渡す。

関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政により
今のような大規模な城へと改修された。

江戸時代には池田氏の他、
本多氏・榊原氏・酒井氏・松平氏が入り、
酒井忠邦が最後の城主となり
明治の版籍奉還を迎えた。

昭和になり、
太平洋戦争では空襲に見舞われるが
奇跡的に焼失を逃れ、
今に至る。


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竹田城の歴史・城主 [兵庫県]



竹田城はその縄張りが虎が臥せているように見えるところから
別名・虎臥城とも言われる。
山の頂にあり川霧により眼下に雲海が見える事から
天空の城、日本のマチュピチュと呼ばれて有名である。

竹田城は15世紀に山名氏が築いたとされる。
播磨と但馬の国境を守る拠点であった。
山名氏の家臣である太田垣氏が長く居城とし、
赤松氏らとの戦いの拠点となる。

安土桃山時代になると織田信長の命により
木下秀吉に攻略されたと考えられている。
その後毛利氏に攻められ太田垣氏は降伏するが
さらに羽柴秀長軍に攻められ降伏し、
秀長が城代となる。

その後一度毛利氏側の太田垣輝延が入るが
羽柴秀長に再び攻められ降伏する。
そして桑山重晴、赤松広秀が相次いで城主となり
赤松広秀は最後の城主となる。

赤松広秀は関ヶ原の戦いで西軍に属し、
その後切腹させられた。

その後竹田城は徳川氏のものとなり
江戸幕府により廃城とされた。


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