松本城の歴史・城主 [長野県]
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松本城は江戸時代の天守が残り
現存12天守の1つである。
天守は国宝に指定されている。
当初は深志城といい、後に松本城と名が変わった。
現在地元では烏城と呼ばれている。
しかし、烏城という名は文献には出てこない。
烏城と呼ぶ由来は黒い色からのようである。
戦国時代の永正年間(1504-1520年)に
信濃守護・小笠原氏の林城の支城として
深志城が建造された。
のち、武田信玄が信濃に進出してくると
深志城は攻められて落とされ、
武田家の信濃の拠点となった。
武田家滅亡後は一時、木曾義昌が支配していたが
小笠原氏が奪回して旧領を回復、
松本城と改名した。
その後徳川家による国替えが行われると
小笠原氏は下総へ移り、
変わりに石川数正が入る。
しかしその子石川康長が改易となり、小笠原氏が再び城主となる。
江戸時代は水野家などの松本藩の中心となり
水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家が代々居城とした。
1633年(寛永10年)に改築により
現在のような天守になったと考えられている。
明治時代には天守が傾いたが、
天主保存会が設立され修理が行われた。
1876年(明治9年)二の丸御殿が焼失し
跡地に松本地方裁判所が建つ。
昭和になってから国宝・史跡に指定され
名城100選にも選ばれている。
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