竹田城の歴史・城主 [兵庫県]
竹田城はその縄張りが虎が臥せているように見えるところから
別名・虎臥城とも言われる。
山の頂にあり川霧により眼下に雲海が見える事から
天空の城、日本のマチュピチュと呼ばれて有名である。
竹田城は15世紀に山名氏が築いたとされる。
播磨と但馬の国境を守る拠点であった。
山名氏の家臣である太田垣氏が長く居城とし、
赤松氏らとの戦いの拠点となる。
安土桃山時代になると織田信長の命により
木下秀吉に攻略されたと考えられている。
その後毛利氏に攻められ太田垣氏は降伏するが
さらに羽柴秀長軍に攻められ降伏し、
秀長が城代となる。
その後一度毛利氏側の太田垣輝延が入るが
羽柴秀長に再び攻められ降伏する。
そして桑山重晴、赤松広秀が相次いで城主となり
赤松広秀は最後の城主となる。
赤松広秀は関ヶ原の戦いで西軍に属し、
その後切腹させられた。
その後竹田城は徳川氏のものとなり
江戸幕府により廃城とされた。
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